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🗒スケッチなど 取材について🗒
現在45カウントまで来ました◯ 都度時節や世の中の出来事に反応したりと好きにラクに綴らせてもらってます。
ここでの スケッチ(クロッキー含む) 取材 というのは 制作前の段階、予備動作 と考えてます。
inputというカテゴリですが、日常見て感じている経験蓄積や幼少期の記憶なども inputに入ること=自分の中のストックされたもの全般が input だとするならば、
作品制作のため意識的に描くので 敢えてここでは区別し、観ている対象のメモ書きのようなもの と捉えてます。
メモ、というとラクな風イメージですが、やり込み要素あり、また大抵は野外で描くということもあり 結構なガチになります。 このガチ感は自分が ・何を・どのように「観ている」のか、出来るまで続けるので 決して行為的にはラクという感じではない、と考えてます。ただ描くときはラフに構えずに そして道具は簡易的動作は端的であり、さほど難しくはない。。
シンプルに 速写、早く捉える。動いている動物、骨格的なこと、また山など高所ではすぐ悪天にもなりかねない ので
→結果 絞った省いた線になる。短時に「よく見て描く」を繰り返す。
→→結果 沢山の枚数
繰り返したのち どう「よく見た」かどうかを検証し、足りなければまた繰り返し。
モチーフの取材、調べて アナライズする、制作のその前準備段階なので 予備動作 と呼んでたりします。
大学入って〜30代の頃はとにかくひたすらやっていました。
描きたいものもぼんやりまだわからない当時の自分にはまだ何もない。。描いたけれど作品と呼んで良いのか判断しかねる。。いや作品なのだけれども、どうにもリスペクトする作家のそれとは違うようにも感じる。。出力の仕方(方法論)が先輩や先生方に似る、既にあるデザインされたものの踏襲のように思えてならない。。
違和感を払拭するため 自身が「何をどう」見ているのか の(脳内の)(フィジカルも)目を鍛える こと 何かを得たい という渇望です。(もちろん当時は直感判断で行動するのみでした)
こういうと暗く思い詰めている感じですが、趣味嗜好性も兼ねてもうちょっとカジュアルな感じだったです。
体使う事が好きなので「絵を描くのはindoor、outdoor 体動かす人にとってクロッキーや取材はちょうど良い」という風に思ってました。
「動物園に行くと楽しい」「どの動物がどの(地方の)園にいるのか、アーカイブ」「その地方にカルチャーあり、違いが面白い→街に興味、散策」
含んで、柔らかで横断するのを厭わない。。80年代ポップカルチャー過ごした自身の、良い意味での「軽さ」があったな、と感じてます。
現在は「足りなくなった足りないと感じたら描きにいく」で落ち着いてます。
世代でスタイルが変化していくのも面白い。「絶対」じゃないんですね。
描き溜めたものは 未だ作品になってないものもあるし、今になって作品になった!なんてことも。永遠に作品にはならないかも、のものまで 様々幾多です。
湯河原での新しい日々を過ごし始めて、以前やってた行為行動を振り返ってみる。引越して3年目、artを通して深掘り検証がまた面白い、とも思ってます。
(↔︎いや、単に引越し時それを大量に運んで(メチャ大変だった!💦) 新たに家で管理する、見直しの機会があったのが一番大きいです。。。)
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